なぁはてぶ

世の中の変革の時に、自分自身も変革したいと切望するだけのブログ。

テロに関して思うこと

うぃっちゅ。
なんだか久々になってしまいましたが、火曜日です。
人質事件はいまいち「正確な」状況が掴めない難しいところでしょうが、引き続き解放に向け全力を尽くしていただきたいと思います。

テロに乗じて政権を倒そう!?

まあそう画策している方もいらっしゃるようで。


「「イスラム国」を批判しなければいけない」は全体主義思想そのもの! 批判されるべきは安倍自民党政権だ!

世界的に「テロは許されない」っていうコンセンサスをもって動いているのに、「テロを批判しなければならないのは全体主義だ!」とか「テロが起こったのは時の政権が悪い!」とか公然と言ってのけてしまうあたり、非常に恐怖です。何を考えているんだろうって思う。こういう「揺らぎ」が、下で述べるテロリズムの概念からすれば、テロリストの思うつぼになっているんだということを深く認識していただきたいです。

テロリズムはコンセプト


「テロとの戦い」の原理的かつ根本的な落とし穴

テロリズムの概念が「社会への何らかの訴えかけが意図された、物理的被害よりも心理的衝撃を重視する暴力行為」であるからして、現状に対して強い不満があってそれをなんとか変えたいと思ったときテロに走る、というのは往々にして発生しうることで、いくら「もうテロリストになった人」を殲滅したとしても「将来遅かれ早かれテロリストになるかもしれない人」を探し出すことなんてほぼ不可能だからテロはなくならない、ということですね。

まあ実際には「もうテロリストになった人」が普通の人をいろいろな手段で勧誘してテロリストにしていくのが今のところのやり方に見えるので、「もうテロリストになった人」を殲滅したとしたらしばらくは組織的なテロというのは相当難しくなるのだろうと思いますが。

テロリズムがコンセプトなら…

それに、テロリズムが生まれる背景として、育った環境や出会った人々や出来事、思想などの影響があるのだとしたら、飛躍しているかもしれないけれども「いじめ」とか「ハラスメント」も、結局そういう影響によって生じるものであるからして、なくならないことになってしまうのではないかなと思うところです。
これだって生まれながらにしていじめっ子はいないし、生まれながらにしてセクハラな子供なんていないわけです。これらも人間の種類とか属性ではなくて一種のコンセプトのようなものですから、いじめをなくす努力はし続けるべきでしょうけれど、完全に0にするというのは現実的ではないかなと思う次第です。

不満だらけなんだよな

結局のところ人間何かしら不満は抱えていて、そのはけ口を常に欲してて、それが「偶々」テロリズムなり、いじめなり、ハラスメントに現れただけ、ってことになってしまうのではないかな…と。