なぁはてぶ

世の中の変革の時に、自分自身も変革したいと切望するだけのブログ。

クラスタ

や、最近は2つ「も」あるブログのどちらに書いたらいいのかよくわからなくなってきているんですけれど。

今日も残業でした。最近は残業が続きます。今月は久しぶりに「名目上の」限界まで行くかもしれません。久しぶりに休日出勤もあるかもしれません。まあ、それはそれで給与が増えますから。疲れますけれど。

で、そんな話をしたいのではなくて、多様化のお話です。

まあ前回同様参考記事(後述)の受け売りではあるんですが。

確かにいろいろ選択肢は増えたように思います。業界問わず。
パソコンもこれまでのパソコンだけでなくて、一時期はネットブック、そして今ではウルトラブックにタブレットまでパソコンのくくりにされるようになってきていますね。実際にはパソコンとタブレットはだいぶ違うものですけれど、タブレットとパソコンに載るOSが一緒になってしまったら本当にカオスになるかもしれませんね。

でも、それに乗っかろうとしているハードウェアメーカーが利益を上げられているかと言えばそうでもなくて、IBMレノボに事業を売却して、そのレノボは今度はNECと提携を始めていたり、そのNECも実はリストラしていたりして。一方でiPhoneiPadの流れに乗ってMacが売り上げを伸ばしていて。

本当に売れるものと売れないものがはっきりしていますね。そしてそれも「ほんの一握りの売れるもの」と「圧倒的多数の売れないもの」という図式になっている。これでは全体として衰退していくのは目に見えていますよ。ドリーミーではありますけれど。

実は成熟した世の中での市場の成長は、属する中間層の量と質で決まるような気がします。そこそこの実力があって、がっぽり稼いでいるわけではないけれど躍動している人がどれだけいるか。ところが今は、もちろん名実ともに力がある人もいますけれど、中身がすかすかでも見た目が華やかな人がものすごい勢いで稼いでいて、逆にそこそこの実力があってがんばって躍動していても全然稼げないという状況になっているのかなと、思った次第です。

まあ、どちらかというとそうなるのは必然なのかなと思うところもあるわけで、ある集団の中でとても流行っている事柄が自分はあまり好きではないとしても、それはその集団の中では言えないと思うのです。言ったらその集団にはいられなくなるかもしれないですもの。特に和をもって貴しとなす日本人ならなおさらでしょう。結局いじめは集団にそぐわない、気に入らないと認識した相手を追い出す心理から来るものだと思いますし。そうなれば、必然的にその集団の中で画一化が起こると。原理主義的な。

まあそう考えたら、テロも偶然の産物でも何でもなくて起こるべくして起こっているのであって、それを封じるというのは不可能に近いという結論に至ってしまうのですが。

…という、書き殴り。

参考記事
時代は多様性を欲してはいない──コンテンツのクラスタ化と、むしろ画一化